セッセと節約生活
未曾有の不況を乗り切るべく、節約ネタ中心に日常を綴っていきます。
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たまには時事ネタ…
なんだか残暑がすごい…。相変わらず気が散って仕方ないのに、少し前から竹島とか尖閣とかニュースで流れてくるのでよけい気分が落ち着かない。ごく個人的にはサッサと裁判をして国境線を確定させて「領土紛争のない世界に誇る平和日本!」などとなれないものかと思うのだが。一歩引けばもっと押してくるんだろうから、そんな簡単じゃないんだろうな。

とりあえず夫婦喧嘩じゃないが、当然に向こうには向こうに言い分があるんだろうと思っていたんだけど、中国側のこんな主張を見つけて絶句したのでメモメモ。人民網に掲載されていた環球時報の記事だが、確かもろに政府系の媒体のはず。内容の是非はともかく、なるほどこういう記事だけ読んでれば中国の人達は憂さ晴らしを兼ねて反日デモをしてしまうんだろうな。結局のところ中国は琉球列島を丸ごと狙ってるわけであって、たとえば仮に尖閣を放棄したって「よし! 次、行くぞ」って感じで解決しないんだろうことがよく分かる。しかし朝貢って… まさに中華思想。琉球王国と書いていながら、ほとんど独立国とは認めてない感じだし。どうせ心の奥底では日本だって属国だと思ってるんだろうな。

中国の人って世界中どこへ行ってもものすごく主張が強いし(駅や店のカウンターで揉めてるのは、かなりが中国系w)、韓国もロンドンオリンピックの通りにかなりの駄々っ子だし、ロシアはもともとああいうお国柄だし。というか日本人が大人し過ぎるだけなんだろうけれども。アングロサクソンやゲルマン民族だって、実はかなり激しい人々だし。しかしホントどうしたものか、困ったもんだ…、などと考えてる自分だって「まぁまぁ、まずは穏やかに」と、とりあえず我慢してしまう、もろに日本人的な気質を持っていると自覚する今日この頃。

以下、長めだけど引用…
http://j.people.com.cn/94474/7889379.html
釣魚島が日本のものではない4つの理由

 日本が釣魚島(日本名・尖閣諸島魚釣島)の領有権を主張する際の根拠は、釣魚列島(日本名・尖閣諸島)が歴史的に沖縄(琉球)に属していたこと、米国が1951年の「サンフランシスコ講和条約」に基づき琉球を信託統治した際に釣魚列島もその範囲に含まれていたこと、そして1972年に米信託統治当局が琉球の施政権を日本に返還した際にも釣魚列島が含まれていたことだ。(文:羅援・中国戦略文化促進会常務副会長。「環球時報」掲載)

 ここには4つの問題がある。第1に「サンフランシスコ講和条約」の合法性の問題。第2に釣魚列島が琉球列島に属すのか否かという問題。第3に琉球列島が日本に属すのか否かという問題。第4に戦後の日本の領土は結局どの範囲なのかという問題だ。これら4つの問題は互いに絡み合っているが、その中心にあるのは琉球列島の帰属の問題だ。

 第1に「サンフランシスコ講和条約」は不法な条約だ。1951年9月4日、米国は一方的に52カ国を招請し、サンフランシスコで対日講和会議を行った。だが第二次大戦で日本軍国主義の侵略を迎え撃った主力である中国は荒々しく締め出された。「サンフランシスコ講和条約」で日本は琉球諸島と小笠原諸島を米国を唯一の施政権者とする国際連合の信託統治下に置くことに同意した。同年9月18日、中国政府は講和条約の合法性を認めないとの声明を発表した。

 第2に釣魚列島は琉球列島ではなく中国に属している。「サンフランシスコ講和条約」第二章第三条で国連の信託統治下に置くと定めた領土に釣魚島は含まれていない。釣魚島は古来中国に属している。早くも明朝初頭から釣魚列島はわが国の版図内にあり、日本で天明五(1785)年に出版された『三国通覧図説』の追図『琉球三省并三十六嶋之圖』でも釣魚列島は琉球王国の国境の外、中国の版図内として印がつけられている。だが米国が琉球信託統治機関に発表した『琉球列島の地理的境界』(布告第27号)は、なんと釣魚列島を琉球列島の地理的境界内に組み入れた。米国に何の権利があって中国の釣魚列島を琉球の版図に組み入れられるというのだ?

 第3に琉球諸島は日本に属さない。琉球はかつて中国の藩属国だったのだ。琉球諸島は紀元1372年から中国の明朝に朝貢を始めた。国王は明朝の冊封を受け、官民は実に頻繁に明朝と往来していた。1879年に日本が出兵し、占領するまで琉球王国はずっと中国の朝廷に直属する独立王国であり、その国民の大部分は福建省、浙江省、台湾沿海地区の住民であり、祖国大陸と血筋が相連なるのみならず、言語も文字もみな中国語であり、法制や制度も大陸の朝廷と完全に一致していたのだ。1945年に日本が敗戦し、琉球も日本から脱して自主性を回復した。中米国交樹立が視界に入った1971年、米国は中国が琉球の主権を回復した後に軍事基地の足場を失うことを恐れ、琉球の施政権(決して主権ではないことに注意)を日本に引き渡した。米国の決定を覆す力のない琉球の民衆数万人は広場に集まって号泣し、日本の侵略者を追い払うことを誓った。それから数十年の間彼らは日本を駆逐して独立を勝ち取るための闘争を止めたことはない。2006年3月の琉球全民投票では、75%の民衆が独立して中国との自主的往来を回復する事を要求した。残る25%は日本人の血筋なので独立こそ要求しなかったが、自治には賛成した。日本はやはり釣魚島問題で中国を相手にむきになってはならない。琉球が日本のものかどうかもさえもが問題になるのだ。

 第4に「ポツダム宣言」第8条は「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国及吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と定めている。戦後の日本の版図に琉球諸島は全く含まれておらず、釣魚列島にいたっては論外であることがここにはっきりと示されている。これが戦後の取り決めなのだ。日本はこれに服さなければならない。(編集NA)

「人民網日本語版」2012年7月26日
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